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  • 上兼栗 つむぎ

お年寄りから聞いたお話


 賢明な高齢者の皆さんはコロナ禍においては若い世代や子どもさんたちとの接触を避けて暮らしていらっしゃいます。しかしこんな暮らしが何年も続けば人生は味気ないものになるでしょう。私はどなたの話を聴くのも好きですが、ことにお年寄りの話は好ましく心に残ります。

 離婚してすぐの頃、保育士の勉強をしながら近所の老人施設で清掃のパートをしておりました。私はよい清掃員ではなかったので、居室に掃除に入ってはお年寄りの話を聴きこんでばかりおりました。そうして聴いたお話を夜の寝床で、三人の幼い子どもたちに話して聞かせてやりました。今回は子どもたちが気に入って、何度も話してとせがんだ短いお話を紹介しましょう。

 施設で暮らすおばあさんのお里の村には有名な変人のおばあさんがおりました。年齢もさだかでないような大ばあさんで、昔は家族もありましたが大方死に別れて一人暮らしをしておりました。村の人は「あじかばあさん、あじかばあさん」と呼んでおりました。その名の由来は施設のおばあさんは知りません。あじかばあさんの家はあばら家で屋根にまで草がぼうぼう生えていました。身なりもボロボロ、髪はバサバサ、言葉を交わす隣人もいませんでした。あじかばあさんはだれの畑にでも勝手に入って作物を盗って行ってしまうのでした。村人は困ったものだと眉をひそめながらも、年老いて一人暮らすあじかばあさんに情けをかけて咎めるものはありませんでした。

 ある年のこと、日照りが続いて作物のできが滅法悪い夏のさ中、あじかばあさんはスイカ畑にもぐりこんで一番大きな熟れたスイカを盗ろうとしました。畑の持ち主はたださえ数の少ないスイカを目の前で堂々と持って帰ろうとするあじかばあさんに腹を立てて「なんでまあ、他人の畑のもんをあんた勝手に持って行きいきなさるか。」と声をかけました。ところがあじかばあさん聞こえぬりで大きなスイカをどっこらしょと持ち上げて、よたりよたりと持って帰ってしまいました。腰も曲がったおばあさんのどこにそんな力があるものか、畑の持ち主はそう言って村の人に語って歩きました。

 そんな達者なあじかばあさんも寿命には勝てず、ある日ぽっくり亡くなりました。身寄りがないので村の人が葬式を出して遺品の整理をしました。あばら家の中にはわずかな所帯道具しかありませんでしたが、鮮やかなちりめんの布でこしらえた巾着袋がたくさん見つかりました。片手の平に乗るほどの小さな巾着袋が、あじかばあさんの手で縫われていました。村の女性の全員が二つ三つと分けてもらっても足りるほどの数でした。

 村の人が集まると後々まで、何であじかばあさんの元にあんなに美しいちりめんの端切れがたんとあったのか、何のためにあんなにたくさんこしらえていたのか、まさかあじかばあさんに限って生前のお礼ということはあるまいて、という話をしたそうです。

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