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お産と人生観

上兼栗 つむぎ

 第一子のお産はどちらかと言えば難産でした。小さな産院の優しい先生で、妊娠中の生活について注意らしいこともおっしゃいませんでした。自分も若くて知識もなかったのでだらだらと暮らしていました。きっとそのせいです。

 お産の始めは痛みに注意を向けて、自分の身体の状態を把握することに集中していました。しかし三日目ともなると疲れて、また痛みの度合いが自分のバロメーターを越えてきたものですから、そのような余裕はなくなりました。もはや痛みと私は一体となり、痛みは私をさいなむものではなくなっていました。これは素晴らしい体験でした。

 赤ちゃんを産み落とすまでお産をやめるわけにはいかない、ということと、死を迎えるその日まで生きなければならないということは似ていると思います。

 今回の疫病から、私たちは様々な痛みを与えられています。この痛みと一体となって生きてゆくことができれば随分楽なのですが‥。私もなかなかお産の時と同じ境地には行けません。

 さて、お産というイベントがすっかり好きになった私は、その後二人の子どもの出産を自宅出産という形で心ゆくまで味わい尽くしました。しかしそれはまた別のお話。

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