三食と、人によっては離乳食も、ずっと台所にいるような気分がするという方も多いのではないでしょうか。
私の長子が大学で家を離れることが決まった時のこと、子どもたちの前では平静を装っていましたが実は、毎晩布団の中で涙していました。大学卒業後も就職、結婚で二度と一緒に暮らすことはないかもしれないと覚悟していたのです。涙が湧いてくるポイントはいつも「あと何回お弁当を詰めてやれるだろうか、何回夕食を作ってやれるだろうか。」という考えが浮かんだ時でした。実際は手抜き手抜きで切り抜けていた訳で、要するに感傷的になっていたのです。
結局長子は大学卒業後に実家へ戻り、今も食卓を共にしています。もっとも食事の支度は手空きの者がするというスタイルになっていますが。
先日、冷蔵庫の残り物で久々に中華丼をこしらえました。3人の子ども達は皆大人になっていて、夕食にワンディッシュメニューが上ることは滅多にありません。
「懐かしーなー。」
「お母さんが学童の会議やらに行くときいつもこれやったな。」
「それかミートソース。」ときょうだいで思い出話に花が咲いていました。
「両方にエノキ入れてたやろ、なぜでしょう。」
「知らんけどエノキは好きやったよ。」
「正解はきざまなくてもバラバラになるからです。時短時短。」わたしにもその時の必死な感じが一瞬でよみがえってきます。
家庭の味とは、食べ物そのものの味ではなく、食べ物とその時の暮らしぶりの印象が結びついた家族の記憶なのだと思ったのでした。
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