我が子が幼いころ、私の父は健在でよく自然の中へ連れ出してくれました。
ある夏の日、清流で水遊びを楽しんでいた時の事です。少し深くなっているよどみに、数メートルの高さの土手から飛び込む遊びを始めました。
きょうだいが何度も飛び込んで大笑いしている中、慎重派の長子がなかなか飛べずにおりました。私は「大丈夫やって、飛んでごらんよ」と何度も声をかけ、弟たちも「こわないって、おもしろいよ!」と叫びます。
とうとう「10、9、8、7、」と声をそろえてカウントダウンが始まりました。土手の上の子も膝を曲げて飛ぶような姿勢です。
その時、父が「怖いんやったらやめとけ」と静かな、しかし断固とした声で言いました。
土手の上の子はフッと力を抜いて後ろに下がりました。冷たい水の中で私の身の内がどれだけ温かく満たされたか、今でも鮮明に覚えています。
父はいつでも私が自分の行いを自分で決めることを見守りながら育ててくれたのでした。例えそれが消極的選択だったとしても、非難されたことは一度もありません。
「気が進まないことはしない」、それも立派な自己決定です。以来十数年、葛藤にさらされる度にこの日のことを思い返して子育てをしてきました。
問題が深刻で、「いいよいいよ」で済ませられない事もいくつもありました。あの川遊びから数年後には父は他界しその時すでに私は一人親でした。「好きに生きなさい、責任はとってやる」と言うには頼りない大黒柱でした。
嵐にもまれる小舟のような家族の行く末に、いつも希望をもたらしたものは、土手の上の少女の安心感、幼い私が包まれて育った信頼感、この世界は私と対立するものではないという感覚です。
何かをがんばらせたいというのも重要な親心、しかし一番大切な事を見失わないようにしたいものです。
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