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上兼栗 つむぎ

失うものあれば得るものあり

 実は私は今年の3月まで携帯を持っていませんでした。今回「子育て支援ぼちぼちステーション」を立ち上げるにあたって初めてSNSというものを利用し始めたのです。

 端末機もいくつか購入し四苦八苦しながら操作するのですが、袋小路にはまり込んだようになってしまう時があって、娘や息子に教えを乞う訳です。

 「解らん事こそネットで調べるんやんか。」と言われますが、

 「調べてみてるけど知りたいことに辿り着かへん。時間ばっかりかかる。」と私。

 「それができるのが僕たちなんやなー。だけどさー、その代償に何か大切な物を失っているんやろうか、何を失ったんやろ。」

 確かに、その手の論調の意見はよく耳にします。失うとか得るとかという考えは、人が何かを所有することができるという前提で成り立つのですよね。私たちの体のどこに能力を備蓄する器官があるというのでしょう。能力は環境との関わりの中で現れるもの。そして関わりこそが次の瞬間の私たちの在り方を決定づけるものであると思います。失ったものを想うことは、センチメンタリズムといって差し支えないと思います。

 今回の緊急事態宣言によっても、私たちの行動は大きく変容しました。もう騒動以前の私達と別ものになっているはずです。息子の言い方ですと何かを失って何かを得たということになるでしょうか。さて、明日の私がどう変わるのか、楽しみにしながら眠りにつきたいと思います。

 

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