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  • 上兼栗 つむぎ

子どもの人間関係

 わが子の通う幼稚園の教育に感動して園長先生と同じ佛教大学に入学した私は、四回生の卒業研究で、幼稚園の園児として年中クラスに一ヶ月間通わせてもらいました。その頃には私の末っ子も小学生になっていました。

 子どもさんは偉いもので、担任から「今日から仲間入りするつむぎちゃんです」と紹介されても、わたしが大人であることは一向気にしない様でした。

 自由教育の園の子らしく、転入生だからといって寄ってくる子もいません。

 恩師の園長先生から言われたことは「子どもの遊びをリードしないこと」だけでしが、

これが全く的を得たアドバイスでした。誰も遊んでくれない(当たり前ですが)、何もすることがない、最初の数日は身の置き所がありませんでした。唯一給食の時間に一人の優しいお姉さん風の子が、さりげなく席を隣に譲ってくれる有難さ。

 やがて少しずつ遊びの中に入れるようになったある日、泥団子をしていると年長の女子三人が近づいてきました。

 「泥団子の勝負しよう」

 私たちはおっかなびっくり、「いいよ」と答えました。

 それぞれの団子が出来上がってくる頃、再び年長クループが団子を手にやってきました。

 「見せて」

 おずおずと差し出す私たち。

 「なんや、色が悪いな」

 「コッチの方が形がええな」

 「ザラザラやん」

 年長女子はポンポンと言いたいことを言います。

 一方私たちは目をパチクリするばかり、一言も言い返せません。

 最後に「ふん」と一瞥して、年長女子たちは行ってしまいました。

 しばらく茫然。

 ポツンと、私の敬愛するお姉さん風の子が涼しい声で「そんなに言うことないのにね」とつぶやきました。それに続いて別の子が、「こっちだっていい色だよね」と続けます。

 この時の「生きてる!」という感じは筆舌に尽くし難い情動でした。要するに私たちは大いに「泥団子の勝負」を楽しんだのです。

 やられてばっかり、又はいじわるばっかり、親の目から見れば子どもの人間関係(社会性)は未熟で導くべきものと映るのですが、その時々をたくましく生きる子どもを尊敬せずにはいられません。




 

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