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  • 上兼栗 つむぎ

子育てと平和

 私の父は広島県の出身です。祖父は戦争中従軍料理人として中国大陸で任務に当っていたそうです。家族の生活はのんびりと物質的にも不自由なく暮らし、終戦を機に故郷へ帰って来ました。

 山村での戦後の暮らしは、戦時中のそれとは打って変わって厳しいものだったでしょう。不在にしていた数年間の空白を埋める人間関係上の努力も必要だったようです。

 やがて祖父は病を得てふさぎ込むようになり、父が3年生の時に服毒自殺をしてしまいます。

 祖母は4人の子どもを抱えて奮闘し、父が中学生の頃京都に出て来ました。無理が祟ったか、父が中三の時急死してしまいました。

 母方の父は戦争前から警官で、戦時中は志願して飛行機に乗っていました。どの様な任務だったのか誰にも詳しく話さなかったようです。

 戦後は放蕩につぐ放蕩の生活。祖母は生活力の弱い人でしたから、母を含むきょうだい三人は学校どころか飢えに苦しむ生活苦でした。末の子は亡くなってしまった程です。

 こんな風に、現代ならネグレクトのような環境下で育った父母に育てられた私ですが、私自身の幼少期は学校にも通い、お腹いっぱい食べ、レジャーや季節の行事の思い出もたくさんあります。

 それでも子ども時代の不満はあります。誰でも親にこうして欲しかった、こんな親であって欲しかったという思いは多かれ少なかれ持っているものではないでしょうか。

 40代後半になった今思うことは、もし、私が子育てにおいて父母以上のことを出来ていたとしたら、それは世の中が良くなったからできたことに相違ないということです。そして世の中が良くなったとしたら、それは先人の努力あってのことであり、親世代には感謝なのです。

 さて次世代の子育てがどうなって行くのか、それは現在の私たち世代の働き如何にかかっていると言えましょう。気は焦れどもできることは小さなことから。


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