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  • 上兼栗 つむぎ

家族は一心同体か

 若い頃に読んだ本です。医学の力で見えなかった目が見えるようになった男性の手記でした。視力を獲得後もその方は段差を見分けることができませんでした。奥行が分からないので、段差が作る影が地面の上にモザイク模様のように見えるのです。彼にとって段差は白杖を通してはじめて認識できるものだったのです。

 この本を読んで私は「認識」という言葉の意味を初めて理解しました。私の目から入る情報は私のこれまでの経験、記憶と結びついて私の世界の中に位置づけられる。新しい情報を加えた新しい世界を眺めて私は「ああこれはこういう物かと見たものを認識するのです。

 さて小さい子どもは親と自分を一体だと感じているそうです。自己中心とは客観性が無いということですから、そもそも幼子は世界や他者と自分を切り離して見ることはできない訳です。言葉でいうと解ったような気になりますが、実際はどういう感じなのでしょうね。

 これも昔の話なのでここに書いても問題ないと思います。個別支援でのこと、二子目を身ごもったお母さんと三歳児さんがおままごとをして遊んでいました。子どもさんが藪から棒にお母さんに「吐き出して」と言い出しました。お母さんは「食べる真似をしているだけだから吐き出せないよ」と応えますが子どもさんはどんどんヒートアップ。支援者の私は子どもさんがお母さんのお腹の赤ちゃんの存在を受け入れられないのだと解りましたが、お母さんは面食らっておられます。普段は聞き分けの良い我が子なので説明を重ねますが、子どもさんは嗚咽しています。気持ちを出し切るとお母さんに抱かれて次第に落ち着きました。

 他人の理解しがたい言動に腹を立てたり、分かってもらえないことに孤独感を感じたり、もっと理解し合おうと距離を詰めても却って辛くなったりすることは日常茶飯事です。親子や夫婦といえども、いえ家族こそ、お互いが違う世界の住人だということを忘れない様にしなければなりません。分かっていても私にとっては難しいことです。




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