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  • 上兼栗 つむぎ

幸福な人、不幸な人

 32歳で離婚をした時、私には何の資格も学歴もありませんでした。子どもが好きだったので保育士の国家試験のための勉強をしながら、近所の老人保健施設で清掃のパートを始めました。

 施設は眺めの良いラウンジと清潔な居室スペースを持ち、楽しみのための催しもありました。とはいえ社会から離れた感じは否めず、利用者さんたちは口をそろえて家に帰りたいとおっしゃっていました。

 週に2度3度と面会に来られる奥様がおられました。おばあさんを乗せた車いすを押して、階下のカフェや屋上の庭園に連れ出して差し上げるのだそうです。身なりもよく物腰柔らかでいかにも裕福そうな奥様を見るたびに、羨ましい気持ちが抑えきれませんでした。

 仕事にも慣れてくると利用者さんの人となりも分かってきて、人間好きの私は居室のお掃除の際に皆さんと二言三言言葉を交わすのが楽しみになりました。

 ある方は無口でいらっしゃるけれども皺の奥の目の輝きが聡明さを物語っていて、不自由な体でありながら身の回りを整えて暮しておられました。ある方はおっしゃることは辻褄が合わないし取り散らかしてばかりですが、愛嬌よしで介護士や看護師がひっきりなしに声をかけていました。またある方は眉間にしわを寄せて常に何事かを嘆いたり怒ったりしておられました。

 この閉じられた世界で同じ居室、同じ食事、同じサービスを受けながらも、人の暮らし方が様々であることに若い私は驚きました。利用者さんたちは最期に向かって一日一日を生きることが人生そのものであり、その一日を満足して暮らすのか悲嘆の中で明け暮れるのかはご本人次第なんだ、と思いました。それは外の世界でも言えることなのでは?若い人でも最後は死ぬのだし、生活についても上を見ても下を見てもキリは無し、私ぐらいの苦労をしている人はたくさんいるのです。

 約一年後、試験に受かった私はそこを去り保育所に勤めるようになりましたが、この時の経験は今も人生観を支えています。あの時の奥様くらいの年齢になり、裕福では全くないけれど母を連れてファミリーレストランなどに出かけられている自分を幸せだと感じています。

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