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  • 上兼栗 つむぎ

日常に根を下ろす

 我が子育ての初期は、保育や教育の素人でただのお母ちゃんだった私。素人ながらも子ども達にはできるだけ刺激一杯の生活をさせたいと、あっちこっちへ出掛けたものでした。

 その時掲げていたスローガンが、「毎日がスペシャルデー」。実際カレンダーの裏紙にマジックで書いて壁に貼っていたのですよ。

 子どもにとっての一日は大人のそれとは比べ物にならないほど貴重なものだという意味です。その考えは今見ても悪くない。しかし私は段々意味をはき違えてしまいました。

 私は、子供にとっての今日は昨日とは違っているほうが良いと思うようになったのです。つまり非日常性こそが刺激であるというような捉え方です。

 そんなある日、事件は起こりました。とあるイベントの里山歩きに参加した時のこと、小さな里山図鑑を持ち歩き、鳥や植物の名前を確かめたりして楽しんでいました。そしてなんと図鑑の中の「食べてみよう山菜を」というページに載っていたキノコと、そっくりな毒キノコを誤って持ち帰ってしまったのです。新しい経験をさせることに一生懸命だった私は、うかつにも夕食のみそ汁に入れて家族で食べてしまったのです。夜中に救急車を呼んで、今考えても恐ろしい、子ども達を危険な目に遭わせてしまいました。

 これを契機に私は、何にも増して大切にするべきは日常生活であることを悟りました。後に勉学を重ねた上は、子どもの発達においても丁寧な日常生活が不可欠と解りました。

 大人は変化がないと進歩も無いように感じがちですが、子どもは繰り返しや継続、連続性などを楽しみますし、楽しんでいるところに成長があるのです。

 子どもとの遊びはぼちぼち続けられるような素朴なことが一番だと思っています。

 

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