top of page
検索
  • サチコ(ボランティアスタッフ)

父との思い出

私の両親は共働きだったため、幼少期、特に小学校高学年までの期間、父母が家にいたという”日常”の記憶がありません。 息子の里帰り出産を終え自宅に戻ってきた後、遊びにきた母から「こんなん見つけたわ」と言って渡されたのは5-6冊ほどの保育園の連絡帳でした。生後2ヶ月足らずで保育園に預けられていたことをそこで初めて知った時は、ショックに近い驚きがありました。

“子供は覚えていないもの”。確かにそうかもしれません。ただ、その中でも何故か不思議と手放せない記憶があります。まだ大学院で研究などをしながら仕事をしていた父が、週に1〜2日、保育園に自転車で迎えにきてくれるのです。その時は真っ直ぐ家に帰らず、大学院に戻り一仕事済ましてから帰路に着くことが大半でした。研究室の椅子にちょこんと行儀良く座っていると、同僚の方が作業の合間に可愛がってくれたり、父がお菓子を内緒で持ってきてくれたりと、普段構ってもらえない分、姉達には秘密の時間をそこで過ごしていることがとても嬉しく、誇らしかったことを覚えています。帰り道は決まって自転車で、隣を走る電車と競争してくれる父、その父の肩をトントン叩いて応援し、大ハシャぎしている私。こんなに大人になっても何か不安になるとふと思い出し助けられます。 息子を年度途中で保育園に預けようと決めた時から今月は何度思い出したでしょう。保育園に通う息子との向き合い方を、いま改めて自分の記憶から探っています。

閲覧数:113回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「自分らしい子育て」の解釈について

「自分らしい子育てをしよう」、最近こんなメッセージを目にすることがあります。これはSNSなどのインターネット情報に翻弄されることなくやれるようにやっていこうという励ましの言葉だと理解しています。しかし時々この言葉の意味を取り違えている人がいるのではないかと心配になります。 多様性が重視される世の中になり、どんな考え方も滅多に否定されません。生活スタイルも家庭ごとに様々で、子育て支援の現場でも保護者

夫婦の絆

私の両親は大変若くして結婚し、おおむね仲の良い夫婦でした。ケンカもよくしていましたが、お互いの他に頼れる人もいなかったのです。ですから本気で別れようとしたことはなかったと思います。 母は京都市の真ん中で生まれ育った町の子です。明るい反面興奮しやすい性格、行動力はありますが思慮は浅く享楽的、押しが強くていつも自分の尺度でしか物事を量れないので、おせっかいの押し売りに父は始終辟易していました。 父は広

切っても切れないへその緒

色々な人にお話を伺うと、多くの方がご自分の親御さんに対して「ああして欲しかった」「こんな親であって欲しかった」という願望を一つや二つは持っていると気付きます。 かく言う私も同様に、老母が不治の病にかかっていてさえそう思うのです。最近母の体調が、「もはやこれまで」というほど悪くなった時がありました。その前後、母は人が違ったようになっていました。生活習慣やお金の管理などについて私のアドバイスを素直に聞

Comments


bottom of page