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  • 上兼栗 つむぎ

切っても切れないへその緒

 色々な人にお話を伺うと、多くの方がご自分の親御さんに対して「ああして欲しかった」「こんな親であって欲しかった」という願望を一つや二つは持っていると気付きます。

 かく言う私も同様に、老母が不治の病にかかっていてさえそう思うのです。最近母の体調が、「もはやこれまで」というほど悪くなった時がありました。その前後、母は人が違ったようになっていました。生活習慣やお金の管理などについて私のアドバイスを素直に聞き入れ、何かと私の考えを肯定してくれるようになったのです。「あァ最後はいいお母さんになってくれた」そう思うと別れを惜しむ気持ちが大きくなって涙しました。ところが危機を脱して小康状態にこぎつけるやいなや、わがままな言動、自分勝手な生活(と私には見える)に逆戻りしてしまいました。

 話は変わって、赤ちゃんは月齢が低いほどお母さんと自分自身を一体だと感じているそうです。お腹の中ではへその緒でつながっているのですから当たり前のようにも思います。幼稚園に行く頃になっても、自分で書いた絵を先生が「これだぁれ?」と尋ねると「ママ」と答えたり、「ママなのね」と念を押すと「うん、ボク」と答えたりします。区別があいまいなのですね。

 小学生になっても低学年のうちは自分を客観視する力が育っていないので、うまくいかないことがあると親のせいにしてスネたり、時にはかんしゃくをおこしたりします。思春期以降もまだまだ同様の言動がみられます。本当は自分を変えたいのにうまくいかなくて、親に八つ当たりをしてきます。

 自分の身にふりかかることは全て自分の行いの結果なのだと悟るのは、何歳くらいなのでしょう。自分自身の心を正直に見つめてみると小学三年生の頃からそれほど変わっていないことに気付きます。相手が他人だと無意識的に本音は抑え込んでいるものの、思い通りに事が進まない時は結局周りのせいだと思っています。それが親に対してだと不平不満の言葉になって出てくるのです。

 私が母の難点と見ている所はそっくりそのまま自分の短所です。私が人のアドバイスを素直に聞き入れ、人の考えを肯定的にとらえる性格ならば、そもそも母とぶつかることはありません。私は母を自分の一部と考え、母が私の短所を改善してくれることを望んでいるのではないでしょうか。それを叶えてくれないことにむかっ腹を立てているのに違いありません。

 母の具合が悪くて命も尽きそうになった時、やっと私は自分の問題を自分で処理しようとしたのではないでしょうか。その結果私は母が変わったように感じたのです。母が元気になってくるとそんな事も全て忘れて元のもくあみです。親子とは喜劇的なものだと思います。これだけは言える事、へその緒は切っても切れないという事です。



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