上兼栗 つむぎ2022年7月31日4 分「自分らしい子育て」の解釈について「自分らしい子育てをしよう」、最近こんなメッセージを目にすることがあります。これはSNSなどのインターネット情報に翻弄されることなくやれるようにやっていこうという励ましの言葉だと理解しています。しかし時々この言葉の意味を取り違えている人がいるのではないかと心配になります。...
上兼栗 つむぎ2022年1月9日3 分夫婦の絆私の両親は大変若くして結婚し、おおむね仲の良い夫婦でした。ケンカもよくしていましたが、お互いの他に頼れる人もいなかったのです。ですから本気で別れようとしたことはなかったと思います。 母は京都市の真ん中で生まれ育った町の子です。明るい反面興奮しやすい性格、行動力はありますが思...
上兼栗 つむぎ2021年10月1日3 分切っても切れないへその緒色々な人にお話を伺うと、多くの方がご自分の親御さんに対して「ああして欲しかった」「こんな親であって欲しかった」という願望を一つや二つは持っていると気付きます。 かく言う私も同様に、老母が不治の病にかかっていてさえそう思うのです。最近母の体調が、「もはやこれまで」というほど悪...
上兼栗 つむぎ2021年9月30日3 分学校嫌いの私の回顧録私は幼稚園時代から高校まで学校へ行くのが嫌でした。何が嫌だったのか説明することはできません。授業は面白い時とそうでない時が半々でした。成績は普通で、勉強で困ったことはありません。給食も好き嫌いは無しです。親も放任でしたので準備物が揃わず、宿題はほぼ毎日やっていませんでした。...
ぐっさん2021年9月3日2 分この町で子育てを僕は幼少の頃、九州の片田舎にある父の勤め先の社宅に住んでいました。その社宅には同じ年くらいの子どもたちがたくさん住んでいて、みんな仲良くしていました。毎日鬼ごっこやボール遊び、お互いの家を行き来してゲームをしたり、ご馳走になったり、お泊りまでしていました。...
上兼栗 つむぎ2021年6月21日3 分育ち合いの支援我が子の子育て期には「今ここでこの子の根性を叩き直しておかないと、将来ろくな人間にならないぞ」と何度も思った私ですから、親御さんのそのようなお悩みには大いに共感できるのです。気持ちの置き場が見つからなくて私にアドバイスを求めてくださる方には、...
上兼栗 つむぎ2021年5月1日3 分お年寄りから聞いたお話賢明な高齢者の皆さんはコロナ禍においては若い世代や子どもさんたちとの接触を避けて暮らしていらっしゃいます。しかしこんな暮らしが何年も続けば人生は味気ないものになるでしょう。私はどなたの話を聴くのも好きですが、ことにお年寄りの話は好ましく心に残ります。...
カオリ2021年4月9日1 分子育てが見せてくれる風景息子が生まれて数ヶ月が経った秋のある日。息子を連れて散歩していたら、抱っこしたまま寝たので、私も少し休憩しようと近くにあったベンチに腰掛けました。ぼーっと景色を眺めていると、「コツッ」と何かが落ちる音がして、ふと足元に目をやると、ドングリが。...
匿名2021年3月2日3 分長子を触れない長子が2歳になった頃から、抱きついてきたり触ってきたりすると全身に鳥肌と嫌悪感が走り、すぐにでも振り払いたくなる衝動にかられる。振り払えば長子が傷つく‥と理性で必死に抑えながら嫌悪感と闘いつつ我慢する。あまりに長いと「あれ見てきてごらん」などと離れるようにやんわり誘導する。...
上兼栗 つむぎ2021年2月16日2 分幸福な人、不幸な人32歳で離婚をした時、私には何の資格も学歴もありませんでした。子どもが好きだったので保育士の国家試験のための勉強をしながら、近所の老人保健施設で清掃のパートを始めました。 施設は眺めの良いラウンジと清潔な居室スペースを持ち、楽しみのための催しもありました。とはいえ社会から離...
上兼栗 つむぎ2021年1月25日2 分家族は一心同体か若い頃に読んだ本です。医学の力で見えなかった目が見えるようになった男性の手記でした。視力を獲得後もその方は段差を見分けることができませんでした。奥行が分からないので、段差が作る影が地面の上にモザイク模様のように見えるのです。彼にとって段差は白杖を通してはじめて認識できるもの...
マサミ(ボランティアスタッフ)2021年1月6日3 分声足元をひんやりと撫でてゆく風、白い息に濁った雲で埋められた空、この冬はその力が発 揮されそうな気配を感じ始めました。 長岡京市に来てもうすぐ2年ですが、1年目は覚悟していた京都の冬に肩透かしをくらった ような暖冬でした。...
リサ(ボランティアスタッフ)2020年12月18日2 分子どもの頃の夢幼稚園生だった頃、私には大好きなS先生がいました。 幼稚園で3年間お世話になって ママ達からも好かれてて、優しくていつも笑ってて、大好きな先生でした。 卒園式の日、私はS先生に「大きくなったら先生みたいになりたい」と言うと...
上兼栗 つむぎ2020年11月29日2 分「発達課題」とはなんぞや小さい子どもさんが思い通りにいかないとかんしゃくを起こしたり、初めての経験に対して不安になったり、果ては頑固に拒否したりする場面はよく目にすると思います。「発達課題」なんて言葉も聞いたことがあるかもしれません。 子育て支援に携わって何年にもなると親御さんも同じ道筋を辿ってい...
サチコ(ボランティアスタッフ)2020年9月30日2 分父との思い出私の両親は共働きだったため、幼少期、特に小学校高学年までの期間、父母が家にいたという”日常”の記憶がありません。 息子の里帰り出産を終え自宅に戻ってきた後、遊びにきた母から「こんなん見つけたわ」と言って渡されたのは5-6冊ほどの保育園の連絡帳でした。生後2ヶ月足らずで保育園...
上兼栗 つむぎ2020年8月12日2 分情けは人の為ならずこの言葉は、人に親切にすることは即ち自分のためでもあるのだよ、位に理解されることが多いのではないでしょうか。 ずいぶん昔に読んだ文章で、太宰治の人柄について印象に残っていることがあります。 太宰は飲み屋さんなどで先輩や友人におごってもらう時はすましているくせに、その辺で出会...
上兼栗 つむぎ2020年7月31日2 分子どもの人間関係わが子の通う幼稚園の教育に感動して園長先生と同じ佛教大学に入学した私は、四回生の卒業研究で、幼稚園の園児として年中クラスに一ヶ月間通わせてもらいました。その頃には私の末っ子も小学生になっていました。 子どもさんは偉いもので、担任から「今日から仲間入りするつむぎちゃんです」と...
上兼栗 つむぎ2020年7月10日2 分子育てと平和私の父は広島県の出身です。祖父は戦争中従軍料理人として中国大陸で任務に当っていたそうです。家族の生活はのんびりと物質的にも不自由なく暮らし、終戦を機に故郷へ帰って来ました。 山村での戦後の暮らしは、戦時中のそれとは打って変わって厳しいものだったでしょう。不在にしていた数年間...
上兼栗 つむぎ2020年7月3日2 分亡父の教え我が子が幼いころ、私の父は健在でよく自然の中へ連れ出してくれました。 ある夏の日、清流で水遊びを楽しんでいた時の事です。少し深くなっているよどみに、数メートルの高さの土手から飛び込む遊びを始めました。 きょうだいが何度も飛び込んで大笑いしている中、慎重派の長子がなかなか飛べ...
上兼栗 つむぎ2020年6月28日2 分日常に根を下ろす我が子育ての初期は、保育や教育の素人でただのお母ちゃんだった私。素人ながらも子ども達にはできるだけ刺激一杯の生活をさせたいと、あっちこっちへ出掛けたものでした。 その時掲げていたスローガンが、「毎日がスペシャルデー」。実際カレンダーの裏紙にマジックで書いて壁に貼っていたので...