top of page
検索
  • 上兼栗 つむぎ

「自分らしい子育て」の解釈について

 「自分らしい子育てをしよう」、最近こんなメッセージを目にすることがあります。これはSNSなどのインターネット情報に翻弄されることなくやれるようにやっていこうという励ましの言葉だと理解しています。しかし時々この言葉の意味を取り違えている人がいるのではないかと心配になります。

 多様性が重視される世の中になり、どんな考え方も滅多に否定されません。生活スタイルも家庭ごとに様々で、子育て支援の現場でも保護者に「こうあるべき」の押し付けはよくないと言われています。全く同感であります。

 もう10年も前の話ですから書いても平気だと思います。両親ともドクターの家庭でした。小さい子を抱えて大病院で勤務するご両親は、延長保育を利用しておられました。日も暮れ切ってから小さい我が子を迎えに駆けつけ、できあいの食事を仕入れ、夜は洗濯物をいっぱいに吊るした下でこたつにもぐって眠っていると話しておられました。

 ある時その子がお熱でお休みして入院していると連絡を受けました。前日までの様子からすると容体が急変したとしか思えません。気になった私は翌日、自分の休みを利用して病院にお見舞いに行きました。ナースに案内されたのは小児病棟ではなく、かなり広い個室の病室でした。明るい窓、立派なソファ、大型テレビ、入院中のその子は大きなベッドにちょこんと座っていました。すぐに白衣姿のお母さんがいらして、「仕事は休めませんし、苦肉の策です」と力なく微笑まれました。体調不良の時の患者の心細い気持ちを誰よりも理解しているお母さんが、お熱の我が子を安心安全の我が家でゆったり見てあげられないとは、さぞかし切ない思いであったろうとお察しします。

 このケースは言わずもがな社会的経済的地位のしっかりしたご家庭ですから、独特に見えるやり方も面と向かって批判されることはなかったでしょう。しかし、働きにくい時間帯に勤務する親、貧困家庭、ひとり親、ステップファミリーなどは世間から、いかがなものかと意見されることもあるのです。子育てや教育は誰もが自説を語れるところがやっかいなのです。自分の経験や価値観で親子の生活スタイルをどうこう言ってくる相手に対して「多様性の世界観を知らない時代遅れの人」と一蹴できる現代は、昔よりはずっといいと思います。

しかし私が懸念しているのは、「自分らしい子育て=割り切りの子育て」になりはしないかということなのです。前述の夫婦そろってドクターのお母さん及びお父さんは、言葉少なくいつもお疲れで、話し込んだことはありませんでしたが、割り切った感じを受けたことはありませんでした。我が子を気遣いながらも手が回らないことを気にしておられたと思います。そして経済力があるのにハウスキーパーや有料の子育て支援サービスを利用しておられなかったことから察するに、激務をこなしながらも自分たちの手で家庭を切り盛りしたいと思っておられたのではないでしょうか。

 当時から10年経った現在では、家庭に支援者を迎えることや家事育児の代行サービスを利用することへの偏見もなくなりました。時間のゆとりが子育てを楽しむ余裕を生むことは明らかですから、いい時代になったと思います。しかしどんなに便利になってもスマートにいかないのが子育てです。悩みは尽きず、価値観の多様性ゆえに選択に迷うことも増えたのです。そんな現代、時代の変化に依らず共通して言えることがあります。どんな子育てをしている人も葛藤が我が子に心を寄せるための大切なガイドなのだということです。「我が家のスタイルはこうだから」「私の考え方はこうだから」と割り切って突きみ、肝心の我が子が置き去りになっていることに気が付かないということが往々にしてあるのです。「他のやり方もあるかもしれないがこれしかできない」「このやり方で我が子は幸せになれるのかな」こうした迷いを抱えながらも、自分のできる子育てをやろうと気を取り直して向き合う時、自分を励ます言葉としてあるのが「自分らしい子育てをしよう」だと思います。

閲覧数:193回0件のコメント

最新記事

すべて表示

夫婦の絆

私の両親は大変若くして結婚し、おおむね仲の良い夫婦でした。ケンカもよくしていましたが、お互いの他に頼れる人もいなかったのです。ですから本気で別れようとしたことはなかったと思います。 母は京都市の真ん中で生まれ育った町の子です。明るい反面興奮しやすい性格、行動力はありますが思慮は浅く享楽的、押しが強くていつも自分の尺度でしか物事を量れないので、おせっかいの押し売りに父は始終辟易していました。 父は広

切っても切れないへその緒

色々な人にお話を伺うと、多くの方がご自分の親御さんに対して「ああして欲しかった」「こんな親であって欲しかった」という願望を一つや二つは持っていると気付きます。 かく言う私も同様に、老母が不治の病にかかっていてさえそう思うのです。最近母の体調が、「もはやこれまで」というほど悪くなった時がありました。その前後、母は人が違ったようになっていました。生活習慣やお金の管理などについて私のアドバイスを素直に聞

学校嫌いの私の回顧録

私は幼稚園時代から高校まで学校へ行くのが嫌でした。何が嫌だったのか説明することはできません。授業は面白い時とそうでない時が半々でした。成績は普通で、勉強で困ったことはありません。給食も好き嫌いは無しです。親も放任でしたので準備物が揃わず、宿題はほぼ毎日やっていませんでした。しかし先生方は概ね親切にしてくださいました。 それなのに月曜日は呪わしく、水曜で一瞬息継ぎ、木曜窒息寸前、早退や遅刻でなんとか

Kommentare


bottom of page